東京で永代供養が可能な納骨堂をお探しではありませんか

何度葬儀に参列しても決して慣れない

葬儀に参列する機会は、年によってバラバラです。意外にも若い時によく参列した記憶があります。高校の同級生が20歳当時で2人亡くなっており、その度に悔いのないように生きないといけないなと思わされます。高校時代にお世話になった理科の先生も高校在学中に亡くなりました。

その方は隣のクラスの担任をしており、高校卒業間際の2月に亡くなられ、教え子たちの晴れ姿を見ることができませんでした。また、交通事故でいとこを亡くしました。自分がよく知る人が短期間に、しかも自分と同じくらいしか生きてないのに亡くなられるのはもはや苦しさしかありません。葬儀に参列した後は、前向きに頑張ろうというより、その人たちの無念さを考え、残された人たちの気持ちを想像するだけで悲しくなります。

特に自分のいとこの家族と葬儀であった時いまだに状況が把握できていない印象がありました。人の死はそう簡単に受け入れられるものではありません。特に突然の死は誰もが想像しておらず、生前もっと接しておけばよかったとしか思えなくなります。しかしながら、いつ死んでもいいように人と接するというのもちょっと違います。

全力で人に接するということは、いつ死んでもいいようにというわけでなく、よりよい人間関係を構築するために素直に誠実に接するということです。そういう意味で、全力で人に接することを重ねていれば、突然死ぬことになってもまだ後悔はしないのかなと思いますが、やはり悔しいものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です